乳欲児姦
- 作者: 目高健一
- 出版社/メーカー: 茜新社
- 発売日: 2005/04/15
- メディア: コミック
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作者は目高健一。二歳児のエロマンガなんてそうそう拝めるものではない。購入すべし。しかしこの本が本棚に並んでる奴は間違いなく変態だな*1。
この本のもっともマズいところは、俺にはちょうど二歳の姪がいるところだ。マズい。姉にだけはこの本は見せることができない。マズい。余計な心配をされたくない。犯罪者予備軍扱いされたくない。もうこれ以上は。
こんなときに、時間の流れというのは有効なものだ。特に子供達にとっては。数年待てば姪も小学校にあがり、この本のターゲットからは外れる。そうなれば姉が俺の部屋にいきなり来ても大丈夫、笑ってごまかせるはずだ。…そう思ったのだが、俺の部屋にはほしのふうたあたりの小学生ロリータものがごろごろしている。それはそれでやっぱりマズい。もう数年待ってもらおう。あ、いや、宮内由香の中学生ものがあるな。じゃあもう数年待ってもらって…いや、もうやめよう。俺の本棚には還暦を迎えたおばちゃんの裸が載っている孰女もののエロ写真集がある。何年待っても無駄だ。
さて、本の内容の方をみてみる。目高の絵はたしかにうまい。幼女のぷにぷに感を、割れ目の柔らかさをいかんなく表現している。これはいいところだ。しかし話はどうか。同じく幼女を描くことの多いあわじひめじあたりと比較すると、するっと読めてしまう。これはなぜだ。汁だって多めに出ているのに、である。
あわじの描く主人公は、自分の行為の背徳性を理解し、それを作中、心の声としてナレーションする、一方目高はたんたんと状況を描く。主人公がその行為にどれだけフェティシズムを感じているのか、いまひとつピンとこない。この作品のように、自分の性的嗜好と離れたジャンルのものを読むときに、あわじの作品のようなナレーションは有効だ。ナレーションが「通の目」となることで、作者が伝えたいことがダイレクトに伝わってくる。その点、目高の場合、主人公の行為がどれくらいの価値があるのか、読者が勝手に決めることになる。これは読者の妄想力に委ねられることになるわけだが、自分のメインでないジャンルでは、これは厳しい。行間を読みづらい。
説明がわかりにくいと思う人は、JoJo の第二部以前と第三部以降を比較してみるとよい。第二部以前の荒木はナレーションを多用した。ところが第三部以降ではそれが一切なくなった。この変化を俺は「熱血からお洒落へ」と考えていて、それゆえに第二部以前の荒木をこよなく愛している。特にバオー来訪者。まぁどうでもいい話であるが。
そういうわけで、この本は実用書としてはだいぶ上級者向けだ。ナレーションうざい、と思えるようなレベルの乳児マニアに適している。とはいえ、そんな人はそれほど多くない。なぜならマニアになるには努力が必要だからだ。そう、皆が一朝一夕にマニアになれるわけがない。そんなわけで、上級者を目指し日々努力するあなたのその心の支えとして、一冊買って本棚に飾っておくことをお薦めする。
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*1:ペドとは限らないので注意。うちの本棚にはスナイパーもサムソンもある。