その手の人向けの補足

先日のエントリでは女の子の集団に問題がある、と書いた。これがまた微妙なところで、「それが女の子の文化の特色じゃないの?」と反論しようとすれば反論できるところだ。でも、男性文化と女性文化というのを対比させた瞬間にそれはカルスタの文脈になっちゃう。そうなったら、後は泥沼化するだけだ。それを踏まえずに「それは男性的な思考だ」というだけで否定しちゃうのは勘弁して欲しい。そういうわなにはまらないように、人類の進化という尺度まで問題を引き下げてみたんだから。

女の子の文化の可能性を追求してもいいけど、宮台のことを忘れちゃいけないと思う。宮台は「流動性」に対する女の子の可能性に賭けて、そして失敗した。結局、恋愛に依存しながらもセックスの相手が頻繁に変わるような、人間関係の過剰な流動性には誰も耐えられなかった(その結果、女の子はメンヘルになった)。遠い未来にはそういう可能性もうまく行くかもしれないけど、今日の問題に対する答えじゃない、と俺は思うんだな。

カルスタついでに言えば、オタクはモテ文化におけるサバルタンだ、という見方もできる。その分析自体は正しいかもしれないけど、それが何の救いになるっていうの?