先日のエントリの補足

先日のエントリで俺がやりたかったのは、非モテ問題を捉える枠組み、フレームを作りたかったの。残念ながら、問題の解決方法を提案できてるわけじゃない。でも、問題の切り口で議論の方向が左右されることは多い。「非モテの原因は、男の外見しか見ない女のせいだ!」「他人に責任を押し付けるより、まず自分で努力したらどう?」という低ーいレベルの議論をいくらやっても仕方がない。

俺は、以下のようなことがらの組み合わせを使って、そうした議論に陥りにくいだろうという枠組みを提案してみたわけ。

  • 深く思考することは、《雰囲気》の支配から離れ、ほんとうの意味での倫理を求めることだよ。
  • 深い思考によってしか自由は享受できないよ。
  • 気の向くままにしたいことができる、というのは欲望に束縛されてるだけ。自由とは違うよ。
  • 自由とは、自分を訓練し、束縛することでより大きな可能性を手にできるということだよ。
  • 深い思考の代わりに《雰囲気》を使って、同様の効果を得ることもできるよ。
  • 女の子の集団は、はまだうまく《雰囲気》を社会様式として構築できてないよ。
  • とにかくデネットおもしろいよデネット

そういう意味で、単純に「非モテは女の子が原因」みたいに思われるのは心外なのね。先日のエントリの中で、集団と個人との違いを明確にしていなかったのはよくなかったと思う。俺が問題視してるのは女の子の「集団」。女の子なら誰しも経験があるんじゃないかな。学校のクラスやサークルなどでよくある、小規模の女の子同士の集団。その中での濃密な人間関係と、同調圧力。あの《雰囲気》は――と言えば、わかってもらえるかな?――ほとんどの人間にとっては苦痛であるにもかかわらず、なくならない。

あの《雰囲気》に接すると、たいていの男の子は引いちゃう。「女の子って、ときどき怖いね」とか言いながら。その意味では男の子には逃げ場がある。男の子の集団にはああいう《雰囲気》はほとんどないから、そこに戻ればいいんだ。もちろん、男の子の集団には別の問題が――DQNの集団とかが――あるけど、少なくともそれはコミュニケーションの問題じゃない(どちらかといえば暴力の問題で、それには法的に抑制をかけることができる)。

これが具体的に、非モテの問題とどう関わっているかって? んじゃ説明しよう。非モテの問題は、「ふつうの女の子個人」と「非モテの男の子個人」の二者間の問題として捉えられることが多いけど、これは間違い。男の子にとっては女の子しか見えてないけど、女の子にとっては男の子の他にも、たくさんの友達の、特に同性の視線がある。

 【男の子の世界】
 
        自分⇔女の子
 
 【女の子の世界】
 
        自分⇔男の子
            ↑
      たくさんの他人の視線

こうした理由で、女の子は無自覚なままに、男の子の外見を気にせざるを得ない。しかも、女の子自身、こうした傾向の行き着く先を制御できているように見えない。男の子の外見を重視することで、女の子はどれだけのメリットを手に入れたの? ――さぁ? …つまり、劣悪な状況に自身を追い込んでいるように見えるんだな。

これは女の子に固有の問題、女の子の「集団」の問題なんだけれども、それを女の子「個人」の問題として取り扱っても仕方がない。普通の女の子個人に何ができるっていうの? この問題に対して、男性は深く関わろうとしてこなかった。それでも責任を取ろうとすることはできる。例えばあなたが作家なら、問題解決のための男の子、女の子のロールタイプを提案すること。それは一つの責任のとり方だ。俺が本田に期待したのはそういうこと。でもね、それを本田に期待しなきゃいけない状況ってどんな状況よ? 喪男の癒しをやってもらったら、今度は女の子の癒しも? どこまでおんぶにだっこしてもらえば気が済むの? と、自分自身思うわけだ。

だから、今度は、俺が書こう。――これが、俺が先日のエントリで書き忘れていたことだ。自ら責任を引き受けること、それを実践しよう。俺がこのエントリを書いているのは、俺にとっての責任のとり方だ。「それは俺達の問題じゃない」と言って、俺は他者を切り捨てたりしない。女の子の抱える問題に関わりあおう。一緒に悩もう。