俺たちには迷惑をかけるな

小飼弾氏のところ。ああ…ひどいのを見てしまった。しかしこのひどさは問題の核心をあらわしている。このひどい視点のズレ方こそが最大の問題なのだ。

小飼はこう書く:

あとがきで本田氏は叫ぶ。

なぜ、誰にも迷惑をかけずに生きる道を選んだ俺たちが、なおも差別されなくてはならない。

その「迷惑をかけない」というこそ、実は女たちへの最大の侮辱だということに氏は気づいていないのだろうか?「人様に迷惑をかけない」ということは、「人様をシカトする」というのと同義だ。

社会性のある考え方というのは次のどちらかだ:

  • 俺は他人に迷惑をかける!だからお前らも俺に迷惑かけていいぞ!
  • 俺は他人に迷惑をかけない!だからお前らも俺にできるだけ迷惑をかけないでくれ!

どちらも社会性を持っている。どちらを選ぶのも自由のはずだ*1

さて、オタクはセクシュアリティアイデンティティのありかただ。しかし恋愛資本主義下においては、オタクはイヤな部分とされている。恋愛の相手がイケメンでも金持ちでもないオタクというのは迷惑だ。本田はまず、女たちからそこを拒否された、つまり女が後者の態度をとったと判断したんだな。だから本田も後者の態度を取る。小飼は前者だ。小飼は他者のイヤな部分を許す方向で努力するし、本田は自らのイヤな部分を出さない方向に努力する。

ところで俺はかつて次のように書いた:

考えない、ということができねぇんだよ!

そうなのだ。考えないやつはどんなに努力しても考えることができないように、考えるやつはどんなに努力しても考えないことができないのだ。

考えるやつは行動する前にまず考える。あらかじめ迷惑がかかると分かっていることを行動に移すのは苦痛だ。そういう場合はわざわざ他人に迷惑をかけてまで行動しない。考えればすぐわかるような迷惑を、他人から甘んじて受ける必要はない。
考えないやつは考えないで行動する。だから他人に迷惑をかける。でも、考えないやつが考えようと努力することは苦痛だ。それを知っている。だから他人からの迷惑を甘んじて受ける。「他人の迷惑を甘んじて受ける」のは「考えること」を放棄した代償なのだ。

その上で聞きたい。

きずつけたっていいぢゃないか みじゅくだもの

本田にとって、そしてオタクにとって、意識的に他人を傷つけることに何の意味があるんだ。前者と後者、なるべく触れ合わないようにゾーニングすればいいじゃないか。なぜオタクまで前者を強制されねばならないのか。その説明がまったく足りていない。

そしてもうひとつ。

本田氏は「護身完成」などとうそぶくが、悪いが私に言わせれば、どんなに魅力的でも、テストが全くされていないプログラムである。一オープンソースプログラマーとして、make testも終わっていないものをインストールするわけには行かない。

では俺も聞きたい。小飼はいままでに誰か一人でも、自分の主張でオタクを救ったことがあるのか。自分の主張で、というのは実際に女を紹介することなく、という意味だ。そしてオタクを、というのは脱オタクをさせない、という意味だ。それがないなら、この主張は make test されていないし、移植性がないことになる。

本田がやろうとしていることは(単体テストどまりかもしれないが)自分自身でテストした実績のある方法だ。そして本田はオタク全体を救おうとしているし、実際に救われたという人達もいる*2。移植性の実績もあるのだ。

もし脱オタクさせなければ救えないのであればオタクのセクシャリティアイデンティティを踏みにじっているし、主張だけでは救えないのであれば議論などまったく無駄で実際に具体的な手段で救済するしかない。

もちろん、小飼氏もやはりオタクたちを救うことを考えて主張しているのだろう。それだけに、お互いの視点のこのひどいズレが、悲しい。

*1:法の立場としては後者を取るけど、まぁここでは置いておく。できるだけ迷惑をかけない人間関係というものがシカトとは限らないだろうが、それもここでは置いておく

*2:もちろん、十年後にどうなっているかはわからないが、それを言ったら小飼の主張も、恋愛資本主義も、どうなっているかわからない。