恋愛資本主義の主張:「だってそれが市場ってものじゃないか」


電波男電通やその他の恋愛資本主義を形成する企業に対して「搾取だ」と告発する。しかし企業としても言い分は当然ある。「買い叩けるところから安く買い上げて、高く買ってくれるところに提供する。それが市場ってものじゃないか」。これもそのとおり。ただ問題はある。俺らのその目の前で市場取引が行われている点だ。

人間の経済活動は大きく4種類に分けられる。

  • 贈与
  • 共同分配
  • 等価交換
  • 市場取引

この中で、もっとも多くの場面で見られるのが等価交換だ。コンビニで買い物をするとき、130円のおにぎりを買うには130円の現金が必要になる。非常識なオヤジは別として、コンビニでは値切ったりできない。この取引は直感的で、誰でも分かる。みんな平等だ。
一方、ほとんど目にすることがないのが市場取引だ。これはいまや、製造者と問屋、といったいわば企業間でしかおこなわれることがない取引だ(いちおうネットオークションは一般人も参加できるけど)。専門的な知識があれば有利になる。なければ損をする。そういう取引だ。
問題が起こるのは、お互いの取引のやり方が一致していない場合だ。俺らがコンビニに行くときは当然等価交換を期待している。しかし相手が市場取引をはじめたらどうなるか? それが争いの発端になることが多い。だって、もしおにぎりを買おうとしたとき、「最後の一個なんで1300円になります」と言われたらムカつくよね。

消費者としての俺らは小売レベルの等価交換においてはじめて平等なんだ。ところが恋愛資本主義においては小売レベルまで市場取引を求められる。こいつはきつい。やさしさを与えて与えて、でも帰ってくるのはほんのちょっと。その隣ではほんのちょっとのやさしさで大量のおもいやりを受け取れるやつら(イケメンDQN)がいる。こいつを目の当たりにするのはきつい。おまけに自由恋愛、なんて言葉を盾に通常の商取引のルールさえ守られない。まさに無法地帯なんだ。
でも、企業としてはそんなこと関係ない。商法の枠の中で、株主さまの前に利益を上げるのが企業の役目だ。そういうことになっている。そしてこの分野にはまだ法がないんだ。なぜ企業が自粛する理由がある?