互恵精神の無理解


もばいるたいぷさんのところにあるが、

局地戦うんぬんの話を書いている人がいたが、この意見には賛成。局地を無理に汎用にしても歪みしか出ない。大事なのは今の自分の立場であって、そこを通さずに他者の意見に傾倒してどうすんだ?と。

電波男に対し、この読みは足りない。本田が救いたいのは自分だけではない。夏の葬列を見よ。これを読んでどう思っただろうか。人により感想は違うだろう。しかし本田はおそらく、これを読めば泣く。血涙を流して、そして言うに違いない。「俺の力でできる限り、お前を救う」と。それこそが本田の原動力であるルサンチマンなのだ。個人的なものでしかないとわかりきった不快感ではルサンチマンにはならない。同じ状況下に置かれた仲間を救いたい。その互恵精神こそが本田の本質なのだ。
だから、局所戦では意味をなさない。「オタク」という広い範囲に広がる仲間をみんな救いたいのだから。俺はたぶん、本田自身は恋愛資本主義下でそこそこ生きていけるんじゃないかと考えている。しかし本田自身はそれを肯定できないんじゃないだろうか。それは「恋愛は金でも顔でもない!」を信じつづけた仲間に対する裏切りになるから。じゃあどうすればいいのか。残された方法は仲間全員を救うしかない。
自分を救うために、仲間全員を救う。それが電波男の目的なのだ。