本田透とリチャード・ストールマン


最近いろいろな本を読んでいる。俺自身はIT系、特にオープン系なのでフリーソフトウェアのお世話になることも多い。そういったわけでフリーソフトウェア業界の大御所、リチャード・ストールマンのエッセイ集「フリーソフトウェアと自由な社会」を読んでもいるのだが、これと「電波男」は共通した部分がある。

「俺たち」「私たち」。

リチャード・ストールマンは繰り返しソフトウェア利用者の便益と隣人に対するボランティア精神を主張する。一方、本田透も繰り返し喪男のオタクに対する便益と同情、救いを主張している。どちらも、自分が属している集団を明確にし、それらが置かれた厳しい状況に対して少しでも改善される方法を主張している。
自分たちが置かれた状況を俯瞰する観点と、集団に対する互恵精神。そして両者を持つがゆえに生まれる公正さ、という価値観。これが二人に共通する特徴なんだな。