ほんとにそれだけでいいの?

俺の「どうしてシンプルでリーゾナブルな性風俗にお金をぶっこまないのか?」という質問に対して、シロクマさんはその理由をこんな風に列挙する。

・単純に、性風俗店が近辺に無い
性風俗店にはリスクがある
・不特定多数との粘膜接触は総てリスキーである
・田舎的ムラ社会への影響
・男女交際に関するスキルや経験の蓄積、殊に配偶対象選択プロセスを精錬する
・対異性コミュニケーション、特に長期的交際に関するノウハウ育成
・相互理解のデータバス拡張
・仲良くなった相手の確保
・自己陶酔

うんうん、どれも納得できる。シロクマさんは誠実だ。でも、俺としてはやっぱり気になっちゃう。ほんとうに欲しいのはそれだけなの?

 さらに意地悪な質問をしてしまおう。こうした列挙を続けることで、シロクマさんのほんとうに欲しいもの(のうちで現実に得ることができるかもしれないもの)にたどり着けると思う? 質問を別の形に変換してもいい。こうやって列挙されたたくさんの理由のリスト(たぶん、時間と共にさらに少しずつ増えていくだろう)を評価基準に、みんなが自分の行動を選択できると思う? シロクマさん自身、ほんとに選択してる?

 こういう質問を繰り返すのには、当然、意図がある。俺が言いたいのはこういうことだ。シロクマさんが書いたような《理由》の、たくさんの組み合わせで世の中は動いている。だけど、あまりにもそうした《理由》が多すぎる。だから、そうした理由を重ねても、中長期的展望はなかなか見えない。計算不可能なの。それこそが近代の限界なんだし、またそうしたことはポスト構造主義のひとたちがいっぱい言ってたことでもある。

 間違いを恐れずに言えば、倫理や道徳というのは、中長期的未来予測(とそれに基づく実践)のための、人間の持つ思考ツールの一つなんだ。おそらくそれは、人間の進化の歴史の中でゆっくりと磨き上げられてきた能力で、つまり進化の最後のほうに付け加えられた能力だ。んで、ある程度大きな集団でそこそこ有効に働く。法と倫理が比較されることに注目してもいいかもしれないし(どちらも集団で長期的に有効に働く)、経済学の祖であるアダム・スミスが倫理学者であったことも忘れちゃいけない。そして最近の進化○○学(生物でも心理でも、お好きな学問をどうぞ)は、こうした倫理や道徳といったものの重要な意味を再発見してる。

 せっかくある能力なんだもの、有効に使わない手はないと思うよ。いや、ちょっと言い方が違うな。倫理や道徳というものの有効性をもっと前面に出していいと思うよ。シロクマさんのリストを見ると、そんなふうに思っちゃうのだ。