だって男の子だもん

だって男の子だもん―ショタ系コミックス (ももまんじるし)

だって男の子だもん―ショタ系コミックス (ももまんじるし)

作者はかげちん。ぶわっはっはっは、いやー、こりゃえろい!ショタものの傑作。たぶん2005年のベスト10に入るな。

この作品は、前に紹介した「少女セクト」と双璧を成す作品だ。男だけのホモソーシャル。いや、エロマンガは基本的には男だけのホモソーシャルの傾向を持つ。そこに登場する女の子は男に都合のいいように抽象化され、理想化されている。言い替えれば、女性が登場しているように見えて、実は男性の理想の鏡像があるだけだったりする。

ところがこの作品は、作為的なのかどーなのか、すでに鏡像ですらない。男にとって理想の「嬲る対象」が登場し、しかも彼は我々と同じ感性を持っているのだ。外見はどう見ても女の子でしかない。その立ち居振る舞いはどう見ても現実の女の子のものではなく、我々の幻想にあるものだ。しかし、女の子の下着には興奮するし、えっちな気分になれば勃起するし、ちんこをしごけば気持ちいい。イク時は射精する。おまけに、彼が射精するとき、それがどれくらい気持ちいいかというのは我々にも簡単に想像が付く。

かわいくて、性格も理想的で、いれると気持ちいい。何一つ文句のつけようがない対象だ。おまけに、二人の目的はどちらも一致している。射精の快感をむさぼることだ。すべて男の想像の範囲内のものだ。邪魔なものは何一つない(おっぱいを揉まれるとどんな風に気持ちいいのか、あそこの中に指を入れられるとどんな感じなのか、という男にとって謎の領域は存在しない)。

この作品の極めつけは次のせりふだ。

女なんて外国でもどこへでも行けばいいわ。

私たちこそ、射精の快感を知らない人たちに興味ないわよ。

「望 -NOZOMU-」p.16

このせりふの持つ閉塞感といったら、たまらない。そしてそれゆえの背徳感もまた格別だ。

どこまでも、欲望に忠実に、自己と他者の境をあいまいにしていく、同質化し共感を引き起こさせるという点において、この作品は明らかに奇形だ。そしてその徹底こそがこの作品を傑作にしているんだろうな。

この作品はある意味終着点のひとつであって、それゆえに俺らはそれ以外の道を探す必要がある。他者とのコミュニケーション、という道を。そんなことを考える。