コメントに対して

RSR さんに向けて書きたいことがちょっと長くなってしまった。

もちろん、そういう傾向はあるね。で、何が問題なの?

人間の感情が極めて自己中心的、エゴイスティックであることは疑いの余地がないと思います。感情を優先して生きるということは、突き詰めれば、自己の欲望に忠実に、他人を省みずに生きるということです。そういう人間が蔓延することは、社会にも個人にも害悪でありません*1
いや、多分わかってて言われてるんだろうとは思うのですが。

ええっと、違う。人間は本能的に利他的な行動をとる*2。人間は闘争をする動物ではあるが、同時にその闘争を調停しようとする動物でもある。類人猿などにすら闘争を調停しようとする行動が見られる。狼には、首筋を見せた仲間を攻撃できない、という本能がある。類人猿や狼の利他的行動は、「めぐりめぐって最終的には自分の利益になるはずだ」といった、理性による判断の結果ではないし、おそらくそれは多くの場合人間にも当てはまる。

俺たちはどちらのコミュニケーション手法を選ぶ《べき》なのか?

相手次第でケースバイケース、お互いに妥協点を探りあう努力をするべき、というのが模範的な解答ではないかと。

うーん、一番許せない類の回答だな(笑)。

ちょっと意地悪な反論に聞こえるかもしれないけど、「お互いに」というのは質問内容に適合してない。あくまで質問内容は「俺たちは」なんだ。というのも、俺たちは言語でコミュニケーションできるから、あなたが「妥協点を探りあう努力をするべき」と言えば、それを理論として説明できるなら、俺達には伝わる。でも彼らは理論ではなく感情で物事を理解する。そんな彼らにどうやって「妥協点を探りあう努力をするべき」って伝えればいいの?

この問いに簡単に答えが出るなんて思ってはいないので、回答を強いたりするつもりはないけどね。

喪男の弱いところは「それでも愛のあるセクロスがしたい」ってとこなんだよな。

セクロスの相手をリアルの女性とするなら、喪男にはそんなところはないでしょう。そんなことを思っている時点で喪男ではなく鯛男です。

これは俺の書き方が悪かったな。

喪男だって男の子ですもの、セクロスはしたい。風俗にも行くかも知れない。しかしそれだけではどうにも物足りず、「どうせセクロスをするなら一緒に愛も欲しい」と思ってしまう。しかし相手の笑顔の裏側に愛ではなく哀れみや狡猾さ、嫌悪を読み取ってしまう。自分自身に対してすら「セクロスの欲望=愛」という図式を疑いもせずに受け入れることができない。それが喪。と、そう書けば喪男の実態と合致しているかな。対象がリアルかどうかはさほど重要ではないと思う、よ?

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*1:文脈的に、これは「害悪でしかありません」だと判断した。

*2:もちろん、利他的な行動だけではなく利己的な行動もとる。なぜそうなのかは『利己的な遺伝子』でも読んでほしい。