ライトニングレディ

作者は葉原鉄。この人の作品は初見だ。

俺は最近、エロマンガだけでなくエロライトノベルにも手を出している。エロマンガ同様、エロライトノベルも作者の妄想が、そしてその妄想を読者に伝えることがその鍵となる。エロマンガと異なるところは、読者へと妄想を伝えるために文章の力しか使えないこと、視覚による妄想支援をほとんど使えないことにある。文章の力では読者の常識からかけはなれた状況をいきなり導入することができない。

ところが、オタク作品にどっぷり浸かった読者は常識の幅が違う。現実の常識だけではなく、オタク作品での常識も利用できる。二次元ドリームノベルズ二次元ドリーム文庫はこの傾向が特に顕著だ。オタクがどこかで見たことのある、あのファンタジー世界が、あの魔法少女が、あの宇宙刑事が登場する。これは面白い。ものすごいダイナミズムを手軽に表現できるわけだ。みんなが使いたくなるのも無理はない。

問題になるのは、オタク作品の常識はオタク作品のみによって作られていることだ。現実によるフィードバックがないため、常識を固定できない。別のオタク作品がその常識を再利用することで常識そのものが少しずつ変質していくのだ。みんなが大挙して利用した結果、新たな常識が構築される。「ファンタジーといえば、噴乳でしょ?触手でしょ?もうおなかいっぱいだよぅ〜。」

そういう作品群の中に時おり輝くものを持っている奴がいる。つまり、そこは誰も攻めてなかったな、という分野を突いてくる作品だ。このライトニングレディはそういう作品だ。ええと、いわゆる変身ヒーローものじゃないかって? 使い古されているんじゃないかって? 着目するのはそこじゃない。この作品は、なんと、変身ヒーローでありながら、エロ作品でありながら、ハードボイルドなんだ!

ハードボイルドは基本的に、男の世界だ。男のルサンチマンでいっぱいだ。紅の豚を見よ。恋愛や、人としての幸せ。そういうものを手に入れることが叶わなかった男が、それでも生きつづける。何のために? …それがハードボイルドの世界だ。

ライトニングレディの主人公、明日香は女だ。しかし、彼女はもはや世間から受け入れられることのない存在だ。そして彼女も世間の価値観を受け入れない。恋愛や人としての幸せを目的にしない。ただひたすら、理由の明示されない空虚な憎しみのために戦い、体の飢えのために交わる。それだけだ。そして無目的ゆえに死すら甘んじて受け入れる。その虚無感。実に、実にいい女だ。格好いい女。

そう、ライトニングレディは逆さまのハードボイルドだ。性別が入れ替わったハードボイルド。主人公の明日香が続ける虚しい戦いの中、数々の男たちとのロマンスがある。そこでは男たちは皆平等だ。学生も、動物も、ヒヒオヤジも。美醜は数あるエロのエッセンスのうちのひとつに過ぎない。臭いのなんて関係ない。というかむしろ臭いほうが興奮するのだ。子供でもなんでも、とにかく明日香は手当たり次第だ。

そして相棒。ハードボイルドといえば相棒だ。相棒が異性となれば、これは美形で秘密があるものと相場が決まっている。明日香の相棒である信もこれをきれいに踏襲している。さらに師匠。明日香と師匠との距離感もまた、ワンシーンであるのにきちんと描かれている。特にこの描写のうまさには脱帽した。キル・ビル vol.2 の、あの主人公と拳法の師匠との関係のような…ああ、説明すると陳腐になりそうだな。実際に読んでみてほしい。

電波男についていろいろ書いてきたが、俺個人としてはもう、萌えの中にすら安寧の地を見つけ出すことは難しくなってしまった。世間的な価値観から遊離してしまった今、俺はただ、自分の中の倫理観のみを価値の基準としているに近い。もはやハードボイルドの境地である。カウボーイ・ビバップは無論、心のバイブルだ。そういう人には間違いなくお薦めできる。また、変身ヒロインものエロライトノベルとしてもきちんとまとまっており、そうでない人にも面白いはずだ。

むむ、二次元ドリーム文庫、あなどりがたし。