俺の倫理観の表明

理屈というものは、自分のためにこねるものではない。他者を理解し、自分にとって不愉快な行為を受け入れるためのものだ。

いくら大人びて見えたところで、十代はまだ若い。お互いに傷つけあうこともある。俺とていろいろな人を傷つけた。それはある程度仕方がない。そうやってしか学べないこともある。傷つけられ、苦しい状況に追い込まれてしまうこともある。しかしそれが十代の時代だけで終わるものであれば、おおむね問題はない。逃避でもなんでもいい、とにかく生き延びればいい。

そして俺たちは成長するのだ。自分と相手で状況が、価値観が違うことが往々にしてあること。好きか嫌いといった感情はあっというまに変化するものであること。感覚は時として信用できないこと。自分にとってどんなに不愉快でも、相手のほうが正しいこともあること。正しさのために、ときに不愉快なことを受け入れなければならないこと。それらを学ぶ。

問題は、三十代だ*1。まわりを見回して、それができる奴がどれだけいるのか。相手の理屈を感情論で否定する。不愉快なことを受け入れたくない一心で、その場限りの理屈をこねて「お前のほうがおかしい」と主張する。不愉快を受け入れるためではなく、不愉快を拒否するためにのみ理屈をこねる。そんなことも珍しくない。建前と本音、というものがあるのは確かだが、開きなおるのはイクナイ!! 俺はそのような行為を憎む。自分に対しても、他者に対しても。

…ちょっと恥ずかしいことを書いてみた。

*1:俺自身はまだなんとか二十代ですが。