さらにおまけ*1

俺の主張を端的に言えば、次のようになる:

  1. オタクと DQN が異なるものであることを認めていただきたい。
  2. オタク、つまり「迷惑をかけたくない努力を肯定する人達」が存在することを認めていただきたい。DQN の方々はこれに気がついていないか、認めていないように見える。
  3. DQN、つまり「迷惑をかけることを肯定する人達」が存在していることは、オタクたちも認識しているし、この存在を認める。否定したりはしない。
  4. 恋愛は人間関係であり、もしオタクと DQN が当事者になると、双方の主張を同時に満たすことができない。だからその点についてはお互い意識しよう(ゾーニング)。

もちろん、それでも DQN とオタクは分かりあえるはずだ、と信じる人がいるなら、それはそれで対話を続ければいいと思う。でも、俺は法を侵さない限りは DQN の倫理観も認めるし、どちらが正しいというものでもないと考える。だから共存しかない。共存した上で、双方にとって苦痛の少ない道を選ぶしかない。それが上記の主張だ。

小飼氏の意見で気になったのは、オタクも DQN でしかない、という点。この理屈ではオタクと DQN を分離できず、その結果、おのおのの倫理観から自動的に、オタクが DQN から迷惑をかけられ続けるだけの存在になってしまう。俺が危惧しているのはこの点だ。

小飼氏もオタクで、オタクをなんとかしたいと思っているんだろう。それはわかる。それはわかるが、他のオタクについて、あまりにも想像力が働いていないように見える。皆があなたのような人格なのではない。小飼氏のような主張に耐えられずに押し潰されるオタクを見たくないんだ、俺は。

あと、人間関係は恋愛だけじゃない。いろいろある人間関係のうちのほんのひとつでしかない。恋愛さえなければ、そう、恋愛さえなければ、負け犬女だっていいところがあるはずだ。オタクと友達にだってなれる。恋愛さえなければ。だから、非オタクとオタクとの間の人間関係から恋愛をとりのぞいてしまおう、という意図もある。恋愛は拡張パックで、特殊な人だけやればいい。