ふたつのベクトル

二つの自分がいるな。恋愛の敷居はもっと低くていい、という自分と、コミュニケーションの深みを追及したい自分と。

とはいえ、両者ともひとつの大きな全体像の部分でしかない。俺はトートロジーに飽き飽きしているがゆえに異物とのコミュニケーションを必要だと考えていて、そのために恋愛はかなり有効な手段だと思うけど、現状の恋愛ではほとんど目的を果たさないがゆえに憤りを感じているわけだ。

しかし、恋愛とセクロスの関係が、なぁ。セクロスは生存にかかわる問題であるところが、非常に扱いづらい。

脱オタファッション

非モテ論客が、友人知人の親切心から脱オタファッションを迫られることもあると思う。そのとき「それじゃ内面を見てくれない」と反論すべきじゃない。反論したいのであれば、「それでは俺が救われるだけであって、俺と同じようなやつらを助けることにならない。」と言うべきなんじゃないかなぁ。

なんでかっていうと、もし本当に「自分の内面を見て欲しい」ことだけが目標なのであれば、ほんの少しの可能性でも賭けてみる価値はあるだろう。言ってみれば、たかがファッション程度で、ということだ。それはもう、手取り足取り、懇切丁寧に教えてもらえばいい。自分をよりよい状況にもっていくために必要なのは、論を張ることではなくて実際に行動することだ。むしろ、それをしないのは怠慢だし、目標にかける熱意がないわけ。周りの人の目にはそう映る。

でも、そうじゃない。助けたいのは俺自身だけじゃない。俺らみんな、なんだ。だからこそ非モテ論を語るんだ。あなたの友人知人はそこを分かっていない。「自分自身だけが助かればいい」という考え方にこそあなたが絶望しているんだってことをね。そして聞こう。「じゃあ、他の非モテにみんな脱オタファッションを迫るの?それで問題が解決するの?」って。俺らが非モテを語るのは、「そうではない解決方法があるに違いない」という理想を掲げてるからなんじゃないのか。

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