キラ×キラ 夢の終わり

キラ×キラ―夢の終わり (二見ブルーベリー)

キラ×キラ―夢の終わり (二見ブルーベリー)

批評家がなしうるのは作品の隠喩を圧縮(還元)することではなく、それらを続けることだけである。だとすれば、この作品を前にして、俺は何を語れるのだろう。

できることなら、俺は錦蛇組のみんなといっしょに、兎呂にひどいことをしたい。犯されて、虐げられている、救いのない少女を見ると、もっとひどいことがしたくてたまらない。兎呂のような人生はおぞましい。決して自分で引き受けたいとは思わない。あくまで他人の人生として少女に押し付けて、その内面の苦しみを安全な場所から見下したい。泣き叫ぶのが見たい。兎呂の心が悲鳴を上げるのが見たい。自分の欲望をぶつけて壊してしまいたい。

読者の何割かは、あの性描写を残酷なものと片付けるんだろう。でも俺はアレが好きだ。ああいうのが好きなんだ。ニジマガ読者だからな。鬼畜なんだ。DQN なんだよ。

でも、俺はそれを肯定しない。自分の欲望を肯定しない。自分が下衆なのは知っているけど、下衆であることを肯定してもらおうとは思わない。自分を肯定してもらおうとは思わない。ただ、それのためだったら自分を否定しても構わない、と俺が考えているもの。それだけを肯定して欲しい。

大切なのは、そういうことじゃないのかな。