自分の範囲

自分とはなにか。これは簡単そうで難しい。例えば、直感的な感覚で言えば、一つの身体と一つの心、それが生まれてから死ぬまでの期間。これが自分というものの単純な見方だ。自分という概念は、空間的な広がりと時間的な広がりを持っている。

では、「自分の利益を最大にする」と言った時の自分とは、どういったものなんだろう? 共感能力がある以上、単純な意味での自分だけを考えても仕方ない。周囲の人間(例えば家族)がつらい思いをすれば、君は悲しいだろう。君の好きなものがなくなってしまったら、君は悲しいだろう。それを避けるためには、自分の周囲まで目を配る必要がある。そうしたときに、家族(の一部)や、君の好きなもの(の一部)は、もはや君の一部なんじゃないの?

「自分の発言の責任を自分で負う」と言った時はどうだろう? どこまで過去の発言までさかのぼって責任を問えるの? また、どの程度の未来まで、責任を負うべきなの? 「君が好きだ」という発言は、どの程度の範囲、どの程度の期間で有効なの?

自分と他人との間には、共感能力がある。今の自分と過去の自分との間には、忘却がある。今の自分と未来の自分との間には、不確定性がある。人はみんな利己的だ、という人がいるが、そういう言い方もできる。人によってそれぞれ、自分の範囲が違うことを認めるならね。「今が一番大事!」という言い方をするとき、その人は、遠い過去の自分や遠い未来の自分より、今の自分を重視している。言い方を変えれば、「過去の自分は他人」「未来の自分は他人」だということだ。