処女だけどお尻は開発済み、って萌えるよね!
トニオさんとこで apesnotmonkeys 氏が言ってることが興味深い。
私が「保守的な道徳こそが非モテを自縄自縛に追い込んでいる」と書いたのも同じ趣旨なんですよ。「処女にして娼婦」というのは保守的な性道徳をもつ(異性愛の)男が抱きがちな女性像なんですよね。そこから「オレ以外の男にやらせる女は許せん!/オレにやらせない女は許せん!」という結論が出てしまうわけです。
なるほど、何となく言わんとすることがわかった、というか、どこに立ち位置の差があるのかわかった気がしますよ。俺に言わせりゃ、上記の性道徳ってのは別に保守特有のものではなく、男性の生物学的な性戦略の典型例なんだ*1。それを変更可能なもの、または少数のものとして apesnotmonkeys 氏が考えている点が俺と異なるわけだ。
さて、こういう本能と現実社会をどう折り合いをつけるかという手法のひとつは「遊びと本気を分ける」ってこと。素人か玄人か。妊娠させるかさせないか。または、産むか堕胎するか。そういうところ。一方、オタクの手法は「虚構と現実を分ける」ってこと。セクロスとオナニーは別、ってね。どっちかといえば後者のほうが洗練されている気がしないでもない。
問題はふたつ。一つ目はオタクの手法が《効率的》であると世間に認知されていない点。もうひとつは、オタクのもつ《虚構コンテクストに対する高い親和性》なしでは実現できない可能性があること。さいわい後者の問題点については、今は良いドールがあるからある程度解決可能だぞっと。
こういう意見に対して、たぶん apesnotmonkeys 氏からは「そりゃダブスタだからあんまりよくねーよ」って反応が来るんじゃねーかなー。実はそのあたりの真意が聞きたくて昨日ちょっとコメントしてみた。氏はダブスタを問題視してるみたいなんだけど、たぶん、この件に関してはさらに掘り下げて考える必要があると思ってる。俺が今、とりあえず考えるダブスタの問題点は次のようなものだ。
- 二つの基準があることを隠蔽して、恣意的に運用できるのでイクナイ。
- その考え方が多数派を占めたときに、二つの基準の齟齬から安定した状態を構成できなくなるのでイクナイ。
- 二つの基準がある、という構造自体が一般に理解されづらい。理解されない構造は問題点を産む。
「虚構と現実を分ける」という手法は、とりあえずみっつともクリアしてるようだし、なかなか有望に思えるが、どうか。足りないところはよろしくですよ。
物足りないといえば、うーん、女性側の視点について考察が足りないな…