フリーセクロスから後戻りできない派

未だに社会に強い影響力を持っている第2次フェミニズムは性欲や性的な嗜好についてかなり甘い見解を持っている。性交渉そのものはあまり重視していなくて、「二人の合意があればそれでいい」とばかりに放置気味。妊娠や中絶、レイプ、性病、売春などの目に見える問題だけを重要だと考えてる。でもそれは配偶者防衛や(「公正さを検証する能力」としての)倫理観などの本能を無視しすぎだし、配偶者に他人の子供を養育させるという倫理的な問題なんて知ったことか、という態度でもあるわけ。さまざまな問題が隠れているんだ。

それはともかく、こうしたフェミニスト達のおかげ(フェミニスト達のせい?)でわりと自由にセクロスできるようになった女の子たちがいる。負け犬の人たちよりちょっと若い世代のひとたち。しかし、彼女たちのかわいそうなところは、貞操観念というのは簡単になくしてしまえるようなものではなく、男性の本能的な、生物として無視できないもの(かもしれない)、ということを誰も教えてくれなかったところにある。性道徳は、実は男女の間の微妙なバランスを保つためのもので、そんなに無意味なものじゃなかったんだな。その結果、彼女たちのように自由にセクロスをしてきたひとたちには届かない領域ができてしまった。それが彼女達には苦い。いまさら乙女には戻れないから、喪の求める女性像に反発を抱いてしまう。