気分次第で行動できる自由

久しぶりに日記をつけたところ(日記なのに久しぶりっつーのはどうかとも思うが)id:derorinman 氏からトラックバックがあったのに気付く。だいぶ遅いが返礼いたす。

きっと氏のもっとも言いたい部分は id:derorinman:20051102 にあると思うので、これに対して反論というわけではないのだが、私見を少し述べさせていただく事にする。

まず、ちょっと氏の主張の要点を見ていただきたい。

では、電波男の言う自由とはなんだろうか。

自分が思うに、それは「支配幻想からの自由」と、「自己選択した幻想への自由」の二つだ。

(中略)

さて、自由であることをよしとする電波男だが、かといってなにもかも許すわけではない。女を次から次にヤリ捨てるようなDQNは許さないし、イケメンにかまけて子供を不幸にするようなDQN女は殺すだろう。脳内で。

(中略)

また、この電波男読解で言いたかったことのひとつに、最近ネット上のいくつかのところにおいては、この自由という観点が抜けていることによる危うさのようなものが感じられる。それは具体的には倫理を過剰に重視する傾向にみられる。上述のとおり、倫理は大事だ。とても大事なことだ。だがしかし、自由であることはそれ以上に大事なのだ。

うーん。
まず、俺自身の考えを述べよう。自由云々ということで言えば、そこに「倫理的な制限からの自由(つまり、そのときの気分次第で行動できる自由)」を加えるべきだと思っている。そしてこの、気分次第で行動できる自由こそを多くの人間がを求めているのであって、逆に「支配幻想からの自由」や「自己選択した幻想への自由」なんかには(そういうものがあると教えてもらったとしても)ほとんど興味がないんじゃないか、と考えている。

そしてもうひとつ。「自己選択した幻想への自由」というのは、実はとんでもなく扱いづらいものなんじゃないか、とも思っている。特に、「自己選択」という点はね。
その自由は確かに、俺が生きていく上で必要なものだ。しかし、だから他人にとっても有益なものである、とは言えない。難しいところだけどな。

さらに言えば、id:derorinman 氏がこのようなエントリを書いたのは、id:derorinman:20051102 の時点で、必要以上に倫理を重視する声が大きく感じられたからなんだろう。しかし俺にとっては id:subscriber:20050412 の時点ではまったくといっていいほど電波男の中に倫理を見る声を見かけなかったからなのだ(自由については記憶がないのでアレだが)。これは個人個人のものの見方の違いなのか、それともオタク世論に変化があったのか。うーむ。しかしなんか、氏の主張を見てると俺が電波男タカ派の幹部みたいな気がしてきた。いやいや、タカ派結構。

とまぁ、そんなことを考えましたよ。