ペットとしてのかわいさと人間としての美しさ

ペットはかわいいよな。俺も猫好きだし。ねこねこ。特に子猫は鼻血が出るんじゃないかと思うくらいかわいいことがある。子犬もよい。大型犬の子供は小さいときから脚が太い。小さい体に比べ、わりと太い脚をしているわけだ。これがまたかわいらしい。

ペットを「かわいい」と思うのは、ペットは安全な存在だと、飼い主が信じていられるあいだだけだ。というか、だからこそ飼い主はペットを買うことができる。ショーケースの中のペットを、「どれがかわいいか」という外見上の理由で選ぶことができる。もちろん性格が評価されることはある。しかしそれは外見がかわいいペットたちの中で、さらに性格のよいものを探す、という行為でしかない。かわいくないものはそもそも選考対象にすら選ばれない。飼い主はペットの都合は考えない。ペットショップはそういうことを考えなくていいものとして存在している。そうでなければたいていの場合、飼い主が理論武装できるような、都合のいい解釈が用意されている。ペットというのはそういうものだ。

外見のかわいらしさ、性格の優しさ、人懐っこさ、そういうのはすべてペットとしてのかわいさらしさだ。自己中心的な性格だって、ペットであればむしろかわいらしさを強める要素になる。ペットは安全な存在なのだから。おっと、誤解しないで欲しいが、俺はペットなんてくだらないといってるわけじゃない。最初に書いたように俺はペットが好きなんだ。ただ、ペットには金がかかる。特に、世間に認められるようなものほど、血統書つきとかペットショーでの優勝経験ありとか、そういうものほど金がかかるのだ。

金がないのにペットを手に入れたいのであれば、自分も動物になる、という手がある。動物としての魅力は金に左右されない。オスとしての力、そして魅力があれば、そして人間としての理性を捨てることができれば、たいていメスを手に入れることができる。もちろん、こういうときのオスとメスの関係というのは、まぁ動物同士の関係なので、なるべく継続させようとか、その関係から何かを生み出そうとか、考えるだけ無駄だろう。

ペットはペットでしかない。

ところで、ペットというのはそもそも、さびしいときに慰めになってくれる存在だったりするわけだ。一人のとき、ペットを愛でることで心を癒す、そういう存在。そういうのって、ペットだけなんだろうか。他にも魅力的な存在ってあるんじゃないだろうか…といったところで時間が尽きた。