コミック新現実 vol.1

産まれてからある程度年齢を経た人間であれば誰にでも、「専門分野」というべきものがある。その人が、ほかの一般的な人に比べて詳しい分野のことだ。それは無論、「専門でない分野」というものがあることも同時に示している。人間一人が「これは俺の専門分野だ!」と言い切れる範囲は、世界というものと比べれば非常に狭い。あまりにも狭い。だから、世間で問題になっているような事柄に対して語ろうとすれば、どうしても自分の専門分野から離れたことについても言及せざるを得ない。

さて、朝といえばトイレ。俺がトイレに入るときは、たいてい何かしら暇つぶし用の本を持って入るのだが、今朝俺が持ち込んだのは「コミック新現実」だった。まぁ買ってからずいぶん経つのだが、読んでないコラムやら何やらがあったのだ。飛ばし読みをした箇所を読み直すにはトイレはちょうどいい。

この「元長柾木」って人の文章はずいぶん奈須きのこっぽいなー、と思いながらぱらぱら読んでいると、思わず目に留まったのが荷宮和子「おたくの花咲く頃」というコラムだ。近頃は面白い作品が再放映されることが多いのだが、面白い作品ばかり見ている今の子供は「ひ弱なおたく」になっちゃうんじゃないか、なんていうおたくならでは心配からコラムが始まる。そりゃあ杞憂というもんだ、と思いながらも作者の言いたいことがすごくわかってしまう自分がいたりして、これがおたくの共通感覚というものか、などと共感しながら読み進めていたのだが、それがの次の話題で思わずとまってしまった。

内容としては82年の教科書問題(「進出」か「侵略」か)をくだらない争いと断じ、小林よしのりをこきおろすものであった。それは別によい。くだらないというのは理解できるし、小林よしのりはこき下ろされてナンボだろう。80年代のOUT読者(アウシタン)であれば小林よしのりなんかうさんくさ過ぎて(いまどきの若者のように)素直に受け入れなかっただろう、ともいう。それも別によい。たぶんそのとおりなのだろう。気になったのは次の部分だ。

> こういった意味でニュートラルだった、当時のアウシタン(「OUT」のファン)ならば (p.345)

ニュートラル。いい言葉だな。「右翼」「左翼」は蔑称ですらあるが、その双方から距離を置いていると主張したいわけだ。しかしこの文は「政治的判断よりドラマのほうが重要なんだ!」という主張がアウシタン達にウケた、という文脈の後に続いているのだ。それが示唆している姿勢はニュートラルというより、単なる「無関心」である。

政治にある程度興味を持っている人間ならば、軽々しくニュートラルという言葉は使えないだろう。もちろん、政治に興味があるが右翼でも左翼でもない人間というのはたくさんいる。しかしそういう人間は特定の政策においては左派、また別の政策においては右派を主張するために、「自分は右翼でも左翼でもない」と自覚しているに過ぎない。つまり、ほんとうにニュートラルな立場なんてものは存在しなくて、特定の政策を見ていけば必ず右派か左派か、あるいはいずれかの派閥に属することになるわけだ。それなのに「ぼくらはニュートラルなんだ」なんて簡単に断言できちゃうとすれば、それは個々の政策を知らないから、また右派と左派以外の派閥の分類の仕方を知らないからであって、そういうことを知らない人の事はやっぱり「ニュートラル」と呼ぶより「無関心」と呼ぶべきだと思うのだ。

いやいや、勘違いしてもらって困るのだが、俺が問題にしたいのは「荷宮は政治を知らない」みたいな、不見識そのものではない。誰にでも専門外の分野はあるし、それを避け続けることはできない。もちろん俺がこういうことを書くだって、やっぱり専門外の分野への口出しなんだから。じゃあ何が問題かって?

おたくは断じてニュートラルではない。ニュートラルなおたくなどいない。おたく文化に興味を持つ以上、それは必ず偏っている(興味がないのが普通なのだから)。そして一般人から「偏ってるよお前ら」と言われながら「おめーらだってマスメディアの垂れ流すようなものに偏ってるんじゃねーか」と内心うそぶくわけだ。「偏っているのが問題なんじゃない、偏っているのを自覚していないのが問題なんだ」と。おたくというのはそういう立場だと思うのだ。

ところが、このコラムですよ。自分の偏りにまったく無自覚に、「近頃の若者は小林よしのりなんかに煽動される。ニュートラルになっていない」と嘆くわけだ。おいおい、お前ら 80 年代のアウシタンは単純に政治的に無関心だっただけじゃねーか、あなたは結局、まんがと政治(的プロパガンダ)を絡める(小林よしのりのような)手法が気に入らないだけなんじゃないの?だったらそう書こうよ?あなたはおたく、それもものを書くタイプのおたくなんじゃないの?それなのに自分の立ち位置、おたくとして常に立ち向かわなければならない立ち位置にに無自覚になっちまうってのは… 俺がこのコラムに最もゲンナリしたのはこの点である。

このコラムで取り上げていた文章は、著者がほかの書籍のために用意したものらしいが、結局没にしてしまったらしい。それで正解なのだろう。