まるで「イデオロギー」と「イデオロギー論」のようだ

  • 解説者の立場によって用語の意味は変化する。ちょっと自分の立ち位置に無自覚なんじゃねーの?
  • 用語には「なぜ名前を付けるか」という目的がある。用語を作るのに、ちょっと無目的過ぎんじゃねーの?

そして議論一般についても同じような傾向があるのではないか、と思っている。つまり議論に対する自分の立場の無自覚、議論の目的の無自覚という傾向だ。そういうところが気になったので、メモがわりに主張しておく*1

*1:もちろん、こう書く自分自身が啓蒙的な立場にいることは自覚している。