間違ってる?

喪男道に端を発したやり取りのなかでいつも思い返していたのは、 id:shinichiroinaba:20051218 で紹介されていた古賀徹の『破片』だ。

その人たちのやろうとしたこと、目指したことに異論がないのなら、その行為を侮ったり、「間違っている」というのはどうだろうか。その人たちの行為がその目的の実現という点からみて「正しかった」とかならずしも証明できないように、「間違っていた」と証明することもできない。

うーん、難しいなぁ。まだ悩んでいる。

俺は『目的のためには手段を選ばず』というマキャベリズムが嫌いだ。でも、そうした相手の目的に共感をおぼえる時には、どうすればいいんだろう。間違っていると言わなかったことは妥当だったのかな。そのやり方は好きじゃない、俺は別の道を探す、と。そう言えばよかったのかな。それだけでいいのかな。どうなんだろう。

それから id:kamayan:20060126#1138212578 *1で紹介されていた「ニートって言うな!」での内藤朝雄の主張が、俺の主張と似ていることに気が付く。まぁ内藤も非モテっぽいけどな(笑)。

そういえば、内藤が著書を通して表現したいこと。その目的というか意志というか。俺にはそれがわかる。共感できる、という意味で、わかる。でも内藤の理論モデルは俺には納得しかねる部分がある。そういうときに、間違ってるとか、そういう言い方をすべきじゃない。そういうことなのかも知れない。

ウケミンという発見

ウケミンという言葉をご存知だろうか? いや俺つい先日まで知らなんだ。世の中にはそういう専門用語があるんですね。

俺は確実にウケミンだな。それだけじゃなく、職場にいる同年代の男もほとんどがウケミンだ。いや、過去の記憶を思い返しても、俺の実感では、同年代の男では半数程度は、ウケミンに当てはまるように思う。あくまで感覚の話だけどな。俺にとってはウケミンとはむしろあたりまえのスタイルだと考えていた。

で、2ch の純情恋愛板にてこの大量のウケミンがあらためて発見された(らしい)。そしてその生態がテンプレート化されるにあたり、多くの女の子が驚きをもってこれを受け入れているのだ。つまり、ウケミンの存在を知らない女の子、ウケミン的な思考パターンを知らない女の子がまだ潜在的に大量にいるってわけ。こりゃコミュニケーションに誤解も生まれようってものだ。

ウケミンがウケミンのままであっても、恋愛に参加できること。いや違うな、ウケミンがウケミンのままであっても、異性と交流できること。そういう環境があったらいいと思わない? そしてそういう環境は、非モテにとってもまた、優しい環境であるんじゃないか。俺はそう考える。

そういう意味で、ウケミンという発見はすばらしい。俺たちにとってはアメリカ先住民のように「いまさら発見かよ!」と思わないではないけど、非モテの思考パターンがテンプレート化され、それを通して、大まかではあれ非モテの心を想像してくれる可能性が増えるなら。「こんなにうれしいことはない…」、ですよ。